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具志川城 (久米島町) : ウィキペディア日本語版 | 具志川城 (久米島町)[ぐしかわじょう]
具志川城(ぐしかわじょう)は、沖縄県久米島にかつて存在した城(グスク)。現在は具志川城跡(ぐしかわじょうせき)となっている。所在地は久米島町仲村渠432および477-1〔〔。久米島北西の仲村渠集落の北方、東シナ海へ飛び出した丘の上にあり、三方が崖となっている〔。1975年に国の史跡に指定された〔〔。1999年度から2007年度にかけて、史跡具志川城保存修理事業に伴い、遺構確認の発掘調査が行われた〔〔〔。 == 歴史 == 築城年代は不明だが、14〜15世紀頃の陶磁器が出土していることから、15世紀初めには城の原型ができあがっていたと考えられる〔。『琉球国由来記』(1713年上覧)および『久米島具志川間切旧記』(1743年編纂)には、もともと周辺集落の御嶽だった場所に、真達勃(まだふつ)按司によって築城されたと記されている〔〔〔。その後真達勃按司の子・真金声(まかねごえ)按司の代に、同じ久米島内の伊敷索(いしきなは、ちなは)按司の次男・真二古樽(まにくだる)按司に攻め滅ぼされ、真二古樽按司が城主となった〔〔。真金声按司は沖縄本島南部へ敗走し、そこに城を築いて同じく「具志川城」と名付けたと伝えられる(具志川城 (糸満市))〔〔。久米島の具志川城はその後、16世紀初頭に尚真王が派遣した軍によって滅ぼされたとされている〔。
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